12月10日日曜日
趣味のフラ仲間の訃報が入ったのは昨日の夜のことでした。
肺がんを患っていたのですが、治療をしながらご自分の体調を考慮しながら、休憩を入れつつレッスンに参加されていたようです。
参加されていたようです。と、書いたのは、私達のフラを教えて下さっている先生の教室は、大人のコースが3つあり、私とは違う教室に通っていたからです。
それでも、何かの大会や、イベントに参加する際には、各教室皆んなで集まっての合同レッスンを行うので、お会いすることもありました。
が、肺がんがわかってからは、体調が折り合わず
レッスンには時々参加することはあったようですが、
イベントには参加する事は、なかなか難しかったようで、合同レッスンにも来られる事はなかったのです。
最後にお逢いしたのは、昨年の10月だった様に記憶しています。
ご自身が出演出来ないので、皆んなの出演イベントに娘さんと会場に応援に駆けつけてくれたのです。
それが最後になってしまいました。
そんなフラの仲間のお通夜に参列して来ました。
予定通りお通夜の読経が始まりました。
とても声の通る若いお坊さんでした。
読経が終了して、お通夜の会場から退室される進行役の方のアナウンスかと思っていたら、その若いお坊さんが参列者の私達に向かって立ち、マイクに向かってお話をはじめたのです。
これまで、何度もお通夜に参列させて頂く機会はありましたが、お通夜の直後に読経をされたお坊さんが、参列者に向かってお話をされるのは初めての体験でした。
何をお話しするのだろうかと、思っていたら、亡くなった方との一度だけの出逢いとエピソードをお話しにりました。
故人が律儀で礼儀正しかった事。
家族には迷いとこれで良いのかと、話していたのにも関わらず、お坊さんにお話しする際には、凛とした決意で事をお願いし、成し遂げたなどのお話をお聞きしました。
お坊さんは、お寺を継ぐために実家に戻ったばかりの時に故人に会ったことがあったそうです。
当時は、故人の親族は納骨堂に収めていたらしいのですが、そからお墓にお引越しをするというご相談を受けたそうです。
近年では、順序や礼節などを無視される方が多い中、故人は順序を踏まえ、すべき事を全てちゃんとされたそうです。
そのことが、印象的だったのか、今回、訃報を聞いて、故人のことを思い出したとお話しされていました。
同じ事をするのに手順を踏まないどころか、この頃は人の道とは思えない事をする方もいらっしゃる中、
そして、この何年かは流行感染症の影響で家族葬や、内うちだけでの葬儀が多かった事。
そして、今日の様に最後のお別れのお通夜に参列して下さっているの方々は、故人にお別れのご挨拶や弔いに来られていると思うのですが、実は故人が皆様をここに集まってもらっていつもは会えない方々と、お逢い出来る様にしているのですと。
あすは葬儀だけれど、今日来られてる方々が全員来られるわけではない事。
来られない方の方が多い事。
という事は、今日お逢いした方とこんどはいつ会えるのかもわからない。
今日という日は今日だけで、今という時は今だけで、明日はわからないのです。
今日故人のお陰でお通夜で会わせて頂けた事に感謝をし、今度はなく会えないかもしれない今日会えたこの瞬間瞬間を大切にしてください。と、いう内容のメッセージでした。
人は必ず死に向かって歩いていっています。実際毎日死に近付いてるなんて意識せずに毎日を生きていますし、生活しています。
お通夜の席で、この様なお話をお聞きすると、リアルに実感せざるを得ない状況で、涙が溢れてきました。
毎日精一杯生きているだろうか?
会いたい人がいるのに先延ばしにしていないだろうか?
と、
自分自身に問いかけていました。
毎日精一杯生きよう。
会いたい人にはすぐに会いに行こう。
やりたい事も先延ばしにせずにすぐにやろう。
お通夜での棺の中の故人の衣装がフラのドレスに首にはレイ。
衣装は、御本人の御意志だったのでしょう。
棺の中の御顔は痩せてはいたけれどお人形さんの様な御顔でした。
そして今日のお坊さんのエピソードのお話しから、故人の人となりが垣間見えた事と、参列者へのメッセージ心に響きました。
安らかに眠ってくださいね。
ありがとうございました。
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